25.09.07.聖日礼拝『隠してしまいたいと思う自分を、隠れたところで神さまが見て下さっていた』マタイ6:6
- キリスト教会 インマヌエル久留米
- 2025年9月16日
- 読了時間: 2分
序〕イザヤ書45章15節「イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自分を隠す神」とある。自分で隠れたいと思って行った先の、その隠れたところに神が先にいて下さっていてそこで私を救って下さるという。
本〕Ⅰ人との交わりに疲れてきて
世の中で孤独を感じたから教会に来たのに、そこでも居場所がないと感じて寂しくなってしまう。しかし教会は孤独になる必要のある場所でもある。「家の奥の自分の部屋に入りなさい」と主は語られた。それは一人になりなさいという意味。教会堂に来た時も、人と交わるより先に孤独になって神と一対一の交わりを体験する。これが礼拝。そこで隠れたところにおられる神に祈る。この順番がとても大切。
Ⅱ奉仕の動機がずれてきて
神さまに認めてもらいたくて、評価されたくて奉仕をするのか?こんな自分も神さまから愛されている。だからその応答として自然と体が動いている。ポイントⅠと同じく、神さまとの交わりが土台にないと奉仕の動機もずれてくる。神よりも、人のことが気になってくる。■今朝のテキストでイエスさまはユダヤ人が大切にしてきた「施し」「祈り」「断食」を挙げて警戒しておられた。「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい」■上記にある「人との交わり」や、「奉仕の動機」も、人のことより先に「神さま」が来る。この優先順位が違ってくると霊的いのちが弱ってくる。私たちの動機もさりながら、神さまのほうが隠れたところで、私たちを見て正しく導こうとして下さっている。今朝のメッセージは、「隠れたところで見て下さっている神さまの愛」である。
Ⅲ隠れたところで神さまが見て下さっている
「祈り」ですら人に見られることを意識していたユダヤ人を警戒して、弟子たちには「あなたが祈るときには」とおっしゃってイエスさまが指導された強調点は「一人になりなさい」ということだった。一人にならないと出来ないこともある。何事もまず神さまとの関係が先に来ることを教えるために「まず神の国と神の義を求めなさい。」とイエスさまは教えられた。そうすれば必要なものは神さまが与えて下さる。
結〕まず私たちと交わりたいと願って下さっているのは神さま。人からの「いいね」よりも、存在自体に絶大な「いいね」を神さまが下さっているから感謝しよう。

コメント