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25.09.14.『かけがえのない『一人』であると知った時、一人でいる怖さがかき消される』ヨハネ16:32~33

  • 執筆者の写真: キリスト教会 インマヌエル久留米
    キリスト教会 インマヌエル久留米
  • 2025年9月22日
  • 読了時間: 2分

序〕先週に続き、「孤独」を抱えている私たちへの神さまからのメッセージ。

 

本〕Ⅰ一人が怖い私たち

「わたしを一人残します。」と主は語られた。弟子たちはみな「自分のところに帰り」主を一人にした。*孤独は誰もが出来れば避けたい。裏を返すと、誰かとつながっていたい。なぜか?安心感からか。特に日本人は「みんな一緒」という価値観を植え付けられているからかもしれない。しかし最初から私たち人間は、決して同じようには造られていない。

 

   敢えて一人になるイエスさま

①朝暗いうちに起きて、寂しいところで祈っておられた。(マルコ1:35) 

②群衆を去らせて、一人山に登られて祈り、夕方まで祈っておられた。(マタイ14:23) 

イエスさまも交わりを楽しまれた。しかし、孤独になることを選択された。ということは

イエスさまが選ばれた孤独と私たちが避けたい孤独とは違うのかもしれない。

■ lonelinessとsolitudeの違い。Solitudeは一人の状態を積極的にとらえて自分から選ぶ孤独。Lonelinessは孤独をネガティブにとらえてそこに寂しさ、悲しさの感情が伴う。

■イエスさまが一人になることを選択された理由は何だったか?上記の二つの御言葉に共通していたのは「祈るため」。父なる神との確かな関係があったから、主はlonelinessを感じられなかったのではないか。「わたしは一人ではありません」(32)

 

  私たちは一人ではない

一人一人を違う、尊い存在として神は造って下さった。これをⅠコリント12章でパウロは「からだ」にたとえて書いた。目・手・頭・足がそれぞれ違う存在でありながら必要な存在として造られているように、神は私たちも一人一人大切な存在として造って下さった。この神の愛に気づく時、lonelinessの寂しさにおびえず、イエスさまのように私たちも

solitudeを選び取っていく勇気が与えられる。弟子たちが去った時、イエスさまの見える姿は孤独であっても「わたしは一人ではない」と言えたのは父なる神がともにおられたから。

 

結〕「かけがえのない『一人』であると知ろう。十字架を前にしたイエスさまのよう

に、 私たちもキリストにある平安と勇気と勝利を与えて頂こう。(ヨハネ16:33)

 
 
 

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