26.01.18 聖日礼拝『現実を変えるのでなく、私たちの目を開いて下さる神さま』Ⅱ列王記6:15~23
- キリスト教会 インマヌエル久留米
- 1月25日
- 読了時間: 2分
序〕
今日の箇所で覚えたいキーワードは二つ。①包囲する ②目が開かれる
本〕
Ⅰ預言者エリシャと召使いが置かれていた現実
アラム軍の馬と戦車の軍隊が彼ら二人のいた町を「包囲していた」 この状態になるまでの状況説明(6:8~14) 作戦会議をすべて見破られていたことに激怒したアラムの王。その原因となったエリシャを捕えようとしてアラム軍が町を包囲した。■どうにもなら
ない現実に取り囲まれていると感じている人が今日いるかもしれない。
Ⅱ目が開かれた召使い
目覚めた彼が見たものは夢ではなく現実だった。それは自分を見失うほどの光景だった。「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう」(15)■「この厳しい現実から救って下さい」とか「この問題を今すぐ取り除いて下さい」とエリシャは祈ったわけではなかった。ただひと言「目を開いてください」と祈った。私たちもエリシャの祈りを自分の祈りにしなければならない。ある意味、目の前の現実を変えて下さいと主に祈ってもきっとそのような奇跡は起こらない。なぜなら、それがキリスト教ではないから。聖書が伝える神さまは私たちが目覚めたら事態は急に変わっていたという奇跡をおこなわれるお方ではない。今日のタイトルは何か?「現実を変えるのでなく、私たちの目を開いて下さる神さま」
目が開かれたら、私たちにも神の愛がわかるようになる。
Ⅲ目が開かれたアラム人
召使いの目も開かれて自分たちを包囲していたアラム人たちをさらに火の馬と戦車が「包囲していた」ことがわかった。しかしよく考えると、実際、自分たちの目の前にアラム人がいたという現実は何も変わっていなかった。それでエリシャは何を祈ったか?主が送り込んで下さった「火の馬と戦車」がアラム人と戦って打ち負かしたとは書かれていない。エリ
シャは一旦、アラム人の目が見なくなるように祈り、再び見えるように祈っている。その間、彼らをエリシャは誘導し、なんとサマリアの町のど真ん中に来させた。彼らは絶望したはず。イスラエルの王は彼らを打つことを申し出たが、エリシャはどう答えたか?「彼らにパンと水を与えてもてなしをしなさい」(23) これがキリスト者の勝ち方ではないか?イエスさまもまたもてなしによって人々を救われた。
結〕
①見るべきお方をしっかり見つめられるように今年も祈ろう。
②今年は視野を拡大し、期待をもって伝道に励もう。
未信の人たちを「教会の外の人」と見るでなく、主からの永遠のおもてなしを受けるべき人たちだと理解しよう。

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