26.02.01.聖日礼拝『現実との戦いの中でなおも私たちが光を放つ存在となるために』マタイ5:10~16
- キリスト教会 インマヌエル久留米
- 3月18日
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序〕「内から外へ、主の光を放つ年」との今年の目標を考える時、実際の生活で具体的な問題となることは何か?この世の人間関係ではないか。主は「ののしり、迫害し、悪口を浴びせるとき」と語られて、キリスト者を良く思わない人たちの中で私たちが輝きを放つためにはどうすればよいかを教えて下さった。
本〕Ⅰ視点を変えること
私たちが人間関係で戦いを覚えるのはどんな時か?それは目の前の、自分たちのことを攻撃してくる人たちのことしか見えていない時ではないか?そうではなく、主は「天の御国」のこと(10)、天で私たちが頂けることになっている「報い」のこと(12)を思って、むしろ「大いに喜びなさい」と教えて下さった。人との関係で疲れる時、このように視点を変える。私たちの国籍は天にある。地上にいながら御国を思って生きよう
Ⅱ自分の存在価値を見失わない
恐れ多くも私たちを「地の塩、世の光」としてすでにイエスさまが見て下さっている。どうして私たちの存在が疎ましく思われたり、きつく当たられたりするのか?それは私たちに塩気があるから、無意識のうちに光を放っているからだ。そのくらい思って、目の前の人に振り回されず、私たちは天の御国の報酬を楽しみにしていよう。
Ⅲ目の前の人の祝福を祈る
これは「バビロンの人たちのために祈れ」と神さまがイスラエルの民に命じられたことに通じる。また自分たちの陣地に無防備に入り込んできたアラム人たちを打ち殺すことなく、むしろパンと水を与えて主君のもとに返すようにイスラエルの王に言ったエリシャに通じる。主は「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(44)と語られた。それは私たちの存在を用いて、彼らをもご自身のもとに引き寄せるため。そのために私たちは無力だけれども、彼らのために祈ることは出来る。
結〕この山上の垂訓を目の前で聴いていたペテロは晩年、手紙でこう書いた。「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(Ⅰペテロ3:9)難しい人間関係の中での祈りが、私たちに祝福をもたらす。

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