26.02.15.聖日礼拝『木にも、私たちにも望みはある』ヨブ14:7~9
- キリスト教会 インマヌエル久留米
- 3月18日
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序〕「木には望みがある」で始まる今日の部分は美しい表現である。しかし14章の文脈から読み取ると、絶望したヨブが木へのあこがれ、やや皮肉も込めて語った言葉だとわかる。「木には望みがある。でも人間は・・」という具合に。
本〕Ⅰ人間が抱えている悲しい現実
木に比べて「しかし、人は死ぬと倒れたきりだ」(10)とヨブは続ける。人間の現実は死んだらおしまいとヨブは結論づける。彼は大試練に見舞われた。三人の友が励ますために来たが、かえって議論によって彼を落ち込ませた。14章はその一回目の議論の結びで、絶望する彼から出たのが、「たとえ木には望みがあっても、人間は死んだら終わり。木のように新しい芽が吹くわけではない」という悲しい現実。しかし・・
Ⅱその現実を希望に変えて下さる神さま
絶望の人生を過ごし、死んで終わりというあきらめを抱いていたヨブだったのに、一つの問いを神に投げかける。「人は死ぬと、また生きるでしょうか。」(14) 木を見て、自然界に再生の希望があるならば、同じ神からいのちを受けた人間にも望みはあるのでは?そう考えた彼は「私の代わり」がやって来るならこの苦役にも耐えられるのにと希望をつないだ。しかしそこまで止まり。それが旧約の限界だったから。しかし彼の二千年後、ヨブの言うその「代わりの者」(第三版)を神はこの世に送って下さった。■「人は死ぬと、また生きるでしょうか」との彼の問いに神はイエス・キリストの復活によって明確に応えて下さった。(Ⅰコリント15:19~22)
Ⅲ未来につながる私たちのあり方
「木には望みがある。でも人間は」と語ったヨブの言葉にキリストを信じる者たちは新約の恵みによって新しい意味付けが出来る。確かに私たちは皆死ぬ。しかしキリストの復活ゆえにそれで終わりでなくなった。「キリストにあってすべての人が生かされるのです」(Ⅰコリント15:22)やがての日、私たちは「また生きる」(ヨブ14:14) この希望が未来の私たち。
結〕人生には挫折もある。でも「たとえ切られても、・・・たとえ、その根が地の中で老い、その根株が土の中で死んでも」「また芽を出し、その若枝は絶えることがない」私たちもこのように日々強められ、生かされていける。「木にも、私たちにも希望はある」

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